加藤諦三氏の著書「人生の悲劇は『良い子』に始まる」の中に出てくるイレーネという女性のお話。
イレーネは両親にとって最初の子ども。彼女はとくに父親に可愛がれて育ちました。彼女が5歳になり、弟が生まれた。もう彼女は以前ほど、皆にかまってもらえない。幼いイレーネは、両親の関心が弟のほうに移っていくのを見て、愕然とする。傷づきながらも、彼女はなんとかして父親の愛情と注意を取り戻そうと、試行錯誤を始めます。
まず、カンシャクを起こしてみる。しかし、そんな彼女に対する父親の態度は厳しい。次に、病弱でかよわい小さな女の子のように振る舞ってみる。これも効果はない。そこで再び作戦を変え、今度はよくお手伝いをする「よい子」になってみた。
すると、父親は彼女に微笑みかけてくれた。これがイレーネが「よい子」を演じるようになったプロセスです。
成績がいいと親が嬉しがる、運動会で優勝すると喜ぶ、親の自慢の種になると可愛がられる。この日常的に子育てで行われている「ほめる」という行為には問題が潜んでいると加藤氏は言います。
そのように親の役に立つ時だけ、親の虚栄心を満足させた時だけ、ほめられると、子どもはそうではない時の自分は意味がないと感じるようになる。親を嬉しがらせることで認めてもらおう、可愛がられようと努めようとすることになる。人に愛されるためには、相手の虚栄心を満足させなければならない。何か相手の役に立たなければと思い込む。
親に気に入られることばかりに気を使い、そのためにエネルギーを使い、自分が何を望んでいるかが分からなくなる。そして自己実現の能力を失ってしまう。
「よい子」として成長し、大人になって挫折する人は、幼い頃、周囲にいた人から自分と違った自分になることを求められ、強要されたのかもしれない。
親のために、親の望む行動をした時にのみ褒められて育った子は、外発的動機づけで育てられている。褒められなければ何事もできなくなる。褒められるという報酬をもらえないから。
褒める時は、親が望んだことをやった時ではなく、その子が望む形、その子の自信につながる時、その子がその子の人生において良い行いをした時がその機会なのでしょう。
参考文献:人生の悲劇は「良い子」に始まる 著 加藤諦三