鼻水を垂らして、たまに、おやつに鼻くそを食べて、泥だらけになって、蟻をつぶして、大人を困らせるようなことをするのが子どもです。
子どもらしいことを、認めずに、子どもに「大人らしさ」を求めてしまう。 静かに先生の話しを聞いて、友達には優しく、言われたことは即実践して、友達とはケンカもしないで、暴言も吐くこともなく、お利口さんを求める。
求められると子どもたちは、認められたいので必死にそれに応えようとします。 大人が誰かの否定をしていたら、いつか私もあんな風に否定されるのではないかとオドオドしています。
我慢をすると褒められると思って、子どもたちは必死に頑張ります。
ケンカ相手を「あの子はダメな子ね」と言えば、ダメな子にならないように必死に良い子になります。 お母さんに良い子と思ってもらいたいので、ダメな子にはならないように頑張ります。
加藤諦三氏によれば、アメリカの優秀な大学の学生に「あなたの子どものころは子どもらしい子どもではなかったか」という質問をすると、「子どもらしい子どもではなかった」と言う人は0%だったと言います。仲間と一緒にある程度の悪さをしたり、いたずらをしたり、親を困らせたこと、所謂「良い子」ではなかった。
逆に、自分は消極的だ、という人にアンケートをとったところ59%が「子どものころは子どもらしい子どもではなかった」と言ったといいます。
子どもは、子どもらしくあれるように。
お父さん、お母さんがいるときだけ「よい子」になる子どもではないように。
子どもは、
いつもありのままで、子どもらしく。
いつもありのままで、その子らしく。