教師は馬鹿の一つ覚えみたいに、髪の乱れは心の乱れ、服装の乱れは心の乱れ、なんて言いますが、その「心の乱れ」がポイントです。ぼくは、心は乱れるためにあると思います。「乱れない心」なんて、心ではない。
「心」っていう字、好きです。あの形。「権」とか「軍」なんて字はみんなガッチリとくっついているけれど、「心」ってパラパラしてる。はじめっから乱れている。心を乱すなというのは、心をやめなさい、ドキっとかハッとかモゾモゾっていうのをやめなさい、ということです。
つまりは心をやめなさいと言っているのです。
よく「ニンジンが嫌い」という子どもがいます。ニンジンって、かなりスペシャルな味がするからです。じゃがいもが嫌いという人はあんまりいないのは、じゃがいもがそれほどすごい味やにおいじゃないからなんでしょう。その点、ニンジンはちょっとクセがあるから、好みとしては「ニンジンが嫌い」というのも十分ありうるわけです。大人でもコーヒーが苦手な人とか、バーボンはくさいから嫌いという人、います。
ところが、学校給食でニンジンを残すとあれだけ怒られるのはなぜだろう、という問題は実は解決していません。
大人がここまでニンジンを食えと言うんだから、なんか理由があるなと解釈せざるを得ないわけです。残してもべつに不幸にはならなかったし、ニンジン食べなかったからといって、とくに病気にはならなかった。
つまり・・・
子どもの問題は、試したがる大人、大人の満足を得るための教育に問題があるのではないか。大人自身はほっとくとサボるので、子どももそうだと思って、宿題を出したり、目標を出したりする。サボらせないように。
子どもってもっと主体性があるもの。赤ちゃんはだれも飲み方を教えなくてもおっぱい飲んでいるし、そのうちコップで飲みはじめます。おしっこもうんちも、大人になって洩らしているやつなんてあんまりいません。もしいたら別の問題です。
自然のなりゆき、それを楽しく、穏やかに「お手伝いする」ぐらいなつきあい方で十分やっていけるはずです。