「ありがとうの基準を下げましょう」

 10月はハロウィンパレードが無事開催され、おへそらしい楽しい時間となりました。保護者様におかれましては、感染予防等にもたくさんご協力いただき心より感謝申し上げます。

 さて、ご存じのとおり「有難い」という言葉は、「有ることが難しい」というのが語源です。おへその職員間では、たくさんの「ありがとう」が飛び交います。少しサポートをしてもらっても「ありがとう」。お休みをもらっても「ありがとう」。今日1日が終わって帰る時も「ありがとう」。研修やイベントが終わっても「ありがとう」。たくさんの「ありがとう」が飛び交っています。

 「ありがとう」の言葉にはすごいパワーが秘められています。にじ組さんで「しあわせのバケツ」を学んでいるとおり、「ありがとう」には相手の心のバケツを満たすことはもちろん、喜んでくれた相手の表情を見て、こちらの心までが満たされる不思議なパワーがあります。

 「ありがとう」をたくさん言う人は“ありがとうの基準が低い”という共通点があり、幸福度も高いと言われています。「これくらいやってくれて当たり前だろう」、「ご飯をつくってくれるのが当たり前だろう」、「仕事をしてくれて当たり前だろう」、「お給料をもらって当たり前だろう」、「お世話されて当たり前だろう」、「子どもだから当たり前だろう」、「大人だから当たり前だろう」、「上司だから当たり前だろう」、「部下だから当たり前だろう」、「保育士だから当たり前だろう」そうやって、「当たり前」が増えていき、その状況を「有ることが難しい」と感じなくなった途端に感謝の言葉は減っていき、「ありがとう」の言葉がどんどん少なくなっていきます。

 同じように、子どもを授かった時は、「お母さんの元に来てくれてありがとう」、「無事に生まれてきてくれてありがとう」と思います。それでも、少しずつ、子どもが成長していけば「こういうふうに成長して欲しい」「こういう能力も育って欲しい」「なんでこんなふうにしてくれないの?」と多くの期待が増えていき、子どもがそこに存在してくれるだけで「ありがとう」という気持ちはどんどん薄れてきます。
日々意識したいのは、「ありがとうの基準を下げる」というものです。

 子どもたちが朝目覚めてくれただけで「ありがとう」。保育園に登園してくれただけで「ありがとう」。今日1日元気に過ごしてくれて「ありがとう」。夫婦でも、仕事を頑張ってきてくれて「ありがとう」。ご飯を作ってくれて「ありがとう」。日々、支えてくれて「ありがとう」。そうやって、ありがとうの基準が低ければ低いほど、人はしあわせを多く感じることができます。

 「当たり前」と思わずに、「有難い」と感じる心を育むことは、人生を歩む上で、幸福度を感じる上で、これからの時代を生きる上で、とても重要なことのように思います。その心を育む上で大切なことは、私たち大人が、まずは身の周りの些細なことにも感謝の心を持ち、「ありがとう」という言葉を口にすることです。

 おへそに通ってくれる子どもたち、いつもたくさんのご理解ご協力をいただく保護者様、子どもたちに安全と安心をもたらしてくれる職員、子どもたちの声を「にぎやかでいいわ~」と言ってくださるご近所様、衣食住にありつけ、日々安心して眠れること、小さく見える、様々なできごとに、心からの感謝の気持ちを持って、日々過ごしていきたいと思います。いつもありがとうございます。

おへそグループ統括園長 吉村直記

「ありがとうの基準を下げましょう」」への1件のフィードバック

  1. 素晴らしいメッセージに、とても心が洗われました。日頃当たり前になってしまってることの一つ一つを、もう一度ちゃんと向き合って感謝の気持ちを伝えたいと思いました。ありがとうございます❗😆

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