思春期の子どもは、自分自身に対する不安や不満、
アイデンティティを求めて葛藤している状態と言われています。
しかし、思春期に関わらず、幼少期の子ども、
大人になっても、その葛藤と戦いながら、人は生きているように思います。
自分自身の弱さを知っておいて欲しいし、不安を認めて欲しい。
そこで、弱さや不安をそのままストレートに表現できる人もいれば、
歪曲して、強がりや攻撃性として表現する人や子どももいる。
加藤諦三氏は、その歪曲の表現をこう著しています。
パラタクシス的歪曲とはどういうことか。
(中略)
ある母親が子どもと、オモチャを買いに行く約束をしている。子どもは、その前日に母親がオモチャを買ってくれなかったことに不満である。
そして、今日まで不満の感情が残っている。
すると、その不満から夕食の「ハンバーグが美味しくない」と文句を言う。
問題の本質はハンバーグの味ではない。
「嫌われてもいい」とわざわざ人に言う人も歪曲しているし、
「強がる」こともまた、弱さの歪曲であったりします。
歪曲して表現する人は、子どもでも、大人でも、それなりの理由があります。
その表現をして心の平穏を保っていたりします。
「弱くてもいい」「頼ってもいい」「悩みがあっていい」
ことを知っていくと心はまっすぐに成長していくかもしれません。
逆に、
「弱さを見せてはいけない」「頼ってはいけない」「悩んではいけない」
という環境の中だけで育つと、歪曲せざるを得ない状況になるかもしれません。
子どもはもちろん、相手の弱さを認め、不安も認めてあげることは、将来の強さや心の平穏につながっていくようです。
しかし、人の成長の原動力は心の安定、平穏からばかりではなく、
心の不安、不満、攻撃性から始まって、人の成長の原動力に変わる場合もあります。