「伝える」と一口で言っても様々な伝え方が存在します。相手を勇気づける伝え方もあれば、ただ単なる指摘で元気を無くさせる伝え方もあります。
例えば、子どもが不適切な場面で「おしゃべり」をしている際に、ダイレクト、ストレートに、「おしゃべりはダメよ」という言葉を伝えることも行動を改善する伝え方のひとつ。
しかし、「こういう時は静かにするんだよ」と適切な行動を教えることもひとつ。
目くばせして、頭を横に振って「(ううん、違うよ)」と心の中で唱えて伝えるのもひとつ。
人差し指を口に当てて合図をするにもひとつ。
紙に「静かにしようね」と書いて渡すのもひとつ。
その子のそばに行って「後で、たくさんお話しようね」とささやくのもひとつ。
相手の行動を改善するのにダイレクト、ストレートに伝えることだけが、手段ではないことを私たちはもう少し意識しても良いかもしれません。
空手の練習に身が入らない子に、「もっと頑張れよ」と伝える方法もあれば、現実はどうあれ「いつもよく頑張っているな」と伝えておけば、勝手にモチベーションをあげてくれることもあるかもしれない。もっともっとを求める前に、「いつもありがとう」の言葉ひとつが「もっと頑張る」を応援するかもしれない。
「お前は優しくない」という言葉より、「お前はいつも優しいな」と現実とは遠く離れた言葉が、「優しくなること」を促したりする。
こんなことを考えていると「伝える」と「伝わる」は違うようです。
私は日頃から、子どもに言葉をかける時、声かけをする際に、このことを心掛けていきたいなと思っています。
人は誰かに信じられることによって、「自分はできる」という自信に代わっていきます。親や周囲の大人がその子を丸ごと信じることによって、その子の自信はどんどん増していきます。
私が教育者として敬愛する藤森平司先生は、「見守る保育の三省」として、次のことを挙げています。
「子どもの存在を丸ごと信じただろうか」
子どもは自ら育とうとする力を持っています。その力を信じ、子どもといえども立派な人格を持った存在として受け入れることによって、見守ることができるのです。
「子どもに真心を持って接しただろうか」
子どもと接するときは、保育者の人格が子どもたちに伝わっていきます。偽りのない心で、子どもを主体として接することが見守るということです。
「子どもを見守ることができただろうか」
子どもを信じ、真心を持つことで、初めて子どもを見守ることができるのです。
子どもに言葉をかける時、その子を丸ごと信じて伝えてあげた言葉なのか、その言葉が、相手にとって必要な言葉なのか、勇気づける言葉なのか、子どもと大人と言えども、人間同士の対等な関係として、声かけの具合を少し調整しながら、より良い声かけ、伝え方を心掛けていきたいと思います。
さて、早いものですが、年内最後のお便りになります。コロナのこともあり、なんだか慌ただしく過ぎさったような気もしていますが、10年の節目として初心に返り、おへその子どもたちと一緒になって全力で過ごした2021年でもありました。保護者様におかれましては、いつもおへその保育にご理解、ご協力をいただき、子ども、職員と共にOHESO LIFEを楽しんでいただけていることに心より感謝を申し上げます。
コロナの状況は一旦落ち着いたように見えたものの、新しい変異株の出現もあって、今後も予測不可能です。しかし、子どもたちの育ちは待ってくれません。感染予防に徹しながらも、必要な体験ができる環境を整えながら3月に向けて進んでいきたいと思います。
おへそグループ統括園長 吉村直記
・・・
おへそグループの保育の考えをまとめた子育て本を出版しました!
