「自分という『軸』を大切に」

保育士だったら、どんな「誕生日会」をしないといけないかな。
この園だったら、こういう「保育」をしないといけないかな。
子どもたちは、どんな「遊び」だったら嬉しいかな。

もちろん、すべて悪い考えだとは思わないが、
「自分」という「軸」がどこにも入っていない。

保育士、園、子どもというフィルターだけ通して悩んでしまう。

相手が「子ども」だと思うと、「自分」という軸を見失ってしまう。
相手のことばかり考えるから、全然わからなくて悩む。
「自分だったら」と考えると、何事もそう難しくはない。

自分だったら、

人前で叱られたら嫌だし、
なんでもダメ、ダメ、って言われたくない。

突然怒られても嫌だし、
大きな声で怒鳴られても嫌。

一方的に言われても素直になれないし、
こちらの都合を聞いてくれなかったら反抗したくなる。

比較されたら嫌だし、
いい時だけ褒められるのも何か操作されてるみたいで嫌。

「自分だったら」と思うとたくさん出てくるが、
「子ども」と思えば、平気でやってしまう人もいる。

もっと言えば、「自分」というフィルターを通さなければ、誰がやってもいい。
あなたに誰でも成り替わることができるし、あなたでなくても良いから、
やっぱり自分を大切にした方がいい。

自分はありがとうを言ってもらいたいけど、人には言わない。
自分は褒められたいけど、人は褒めない。
自分の長所は見て欲しいけど、人の短所を先に見る。

昔小学校で習った
「自分がされて嫌なことは人にしてはいけません」「自分がされて嬉しいことを人にしなさい」

がもっと「軸」になれば、もっとシンプルに、楽に人間関係や保育も考えるような気がする。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

関連投稿

検索語を上に入力し、 Enter キーを押して検索します。キャンセルするには ESC を押してください。

トップに戻る